いつか必ず迎えることになる最後の時を考えるための書「死を生きた人々 小堀鷗一郎」紹介

日本で「高齢化社会」が問題になってから何年経ったでしょうか。いまだに何も解決の糸口は見いだせておらず、長生きすることばかりフォーカスされがちですが、死ぬことについてはあまり語られず、日本ではタブー視されているような気がします。

健康な毎日を過ごしたい気持ちは誰もが同じかもしれませんが、「辛い思いをしてまで長生きをしたいか」と聞かれれば、僕は「いいえ」と答えます。「死に方」は自分で決めたいですし、もしも「先が短い」という状況に陥れば無駄な治療や延命措置などせずに、好きなように生活したいです。

死の淵で人間は何を考えるのか。「死を生きた人々」を読んで、自分なりに「死」との向き合い方がポジティブなものに変わりました。たくさんの人に読んで欲しい本書を紹介させてください。

数多くの患者を看取ってきた医師の書

本書「死を生きた人々」は、355人の患者を看取ってきた訪問診療医・小堀鷗一郎氏が、終末期医療においての現状・一般的な認識を描いたものです。42の事例とともに紹介されている医師と患者のコミュニケーションには、考えさせられるものがたくさんありました。死へと向かう患者それぞれの考え方。患者を囲む親族や遺族の気持ち。高齢の両親を持っている方なら、確実に「死」というものへの見方が変わります。

俳句が好きな患者のエピソードは和むものがありましたし、心苦しくなる事例もあれば、「そういう考え方もあるか」など気づかされる部分もたくさんありました。油断をすると、泣きそうになってしまう事例も。

本書は「こうしなさい」「ああしなさい」と強制するものは一切ありません。ただただ現実を教えてくれます。その上で、「みんなで終末期医療を考えてみませんか?」と問題提起してくれているのです。

自宅で看取られる患者の数は少ない

人生が人の数だけあれば、死だって人の数だけあります。死に方は自分で選びたい。極端なことを言ってしまえば、周りの意見なんて関係なく、自分が死にたい場所で死にたい。僕は昔からそう思っています。もしも、不治の病に倒れてしまい、「治る可能性は1%以下ですが延命はできます」と医者に言われたら、そんな無駄なことはしないで自然な形で逝きたいです。

現代なら一般的に、息を引き取るのは病院か自宅になります。「自宅で最後を迎えたい」という患者もいますが、末期ガンで手の施しようのない状態なら家族はどう思うでしょうか。本人の意思を尊重してくれるとは思いますが、苦しんでいるところを見ると取り乱してしまい救急車を呼ぶ。そして結局は入院して、病院で最期を迎えることも多いそうです。

患者と家族の認識の差が問題になっている

「自宅では不安だから」と病院での最後を望む患者もいたり、「死ぬわけないじゃん」と確実に訪れる死と向き合わない患者もいたり。

患者と家族の認識の違いもあり、望んでいる形での最後を迎えている患者は多くないようです。

賃貸なら事故物件扱いにされると不安になる大家

患者と家族の認識問題だけではありません。例えば、賃貸マンションに住んでいたとしましょうか。末期癌の状態で入院しても治る見込みなし。あとは「死ぬだけ」という状況で、最後を病院で迎えるか、自宅で迎えるかの選択を迫られて、かかりつけの医者に「自宅で」と希望を言ったとしても、大家が嫌がるのは間違いありません。「事故物件扱いになったらたまったもんじゃない」なんて言ってくることもあるそうです。

正確には事故物件にはならないので勘違いなのですが、ここにも「死」に対する認識問題があるようです。

「死」という現実から逃げずに向かい合うべき

あまりにも「死」からかけ離れた生活を送っている僕たちには、「死」という現実が見えなくなっているのかもしれません。本書を読む限りでは、本人が望む形で死を迎えるのはまだ難しいようですが、自宅で最期を迎えるのが自然な形だと感じました。

自分だけでなく、周りの人間の「死」に対しても、僕たちはもっと向き合うべき時期にきているのかもしれません。人間はいつかは死ぬのですから、残された家族のことはもちろん、どこで死ぬか、どうやって安らかに逝くのかも考えていくべきです。

訪問診療医の数が少ない日本はどうしていくのか

貧しい国では大半の死は家の中で起こるそうです。食べるものもなく、病院に行くお金もなければ自然とそうなるのでしょうか。一方で、経済が発展し、国民の収入が上がると病院での死が増え、収入が最高段階に到達すると人生の質を高めようと自宅での死が増えるというデータもあります。

日本は現在、どの位置にいるのでしょうか。おそらくは収入が最高段階に達する直前の、3段階目に突入しようとしている状態でしょう。これに加えて、超高齢化社会は待ったなしの状態でやってくるので、患者宅を訪れる診療医の数が問題になるのは間違いなさそうです。

在宅医療を知らない医師が大半

この状況下での訪問診療医の不足は非常に不安ですし、医師の大半が「在宅医療を知らない」という事実もあります。

僕たちが知っている医療は「治療のための医療」すなわち「生かせるための医療」なのですが、看取るための在宅医療は「死なせるための医療」でもあります。この表現だと誤解されそうなので、きちんと説明すると「死ぬべくして死ぬ」「苦しむことなく自然な形で死んでいく」ための医療という意味です。「死ぬことは悪いことではない」という認識になると、意味がよくわかるのではないでしょうか。

在宅医療に関しては患者側だけではなく、医師の方にも認識問題がありそうです。終末期医療や在宅医療に触れている政治家がどれだけいるのかわかりませんが、国が積極的に動かないといけない問題です。

自分にとって最良の「死に方」を考えさせられる本

助かる見込みのない患者に延命治療を施す病院は正しいのでしょうか。薄い確率で治療に成功したとしても、その後はどうなるのでしょうか。度重なる薬の投与で苦しんで、副作用に苦しむこともあるのではないでしょうか。食事制限もされて、自由に動くこともできない生活に何の価値があるのでしょうか。

僕だったら助かる見込みがなければ放っておいてほしいです。痛みを伴う病気なら、痛み止めさえ処方してくれればよくて、静かに、穏やかに死ねるのならそれで十分です。我慢させられているであろう酒やタバコだって飲みたいですし、好きなものを食べまくりたいです。何でもかんでも我慢して死ぬよりは、思いっきり楽しんで死んだほうが絶対にいいです。

こちらの書評でも述べていますが、僕は「健康第一」という言葉が好きではありません。「長生きしたい」という気持ちがあるなら健康は大事ですが、長生きする気のない人にとっては関係のない言葉です。

誰しもが迎える「死」をタブーにしないで議論できる時代へ

人はいずれ死にます。そろそろ「死」というタブーを捨てて、議論できる場所を広げていき、来るべき「死」に向き合う時代が来ているのではないでしょうか。

簡単に死ねるようになるのは他の問題もありますが、安楽死施設についても議論をしてほしいです。誰にだって「死ぬ権利」はあるはずですから。

本著は高齢者の方や、両親が70歳を過ぎている方、医療に携わっている方など、多くの方に読んで欲しいです。身近にある終末期をみんなで考えていけたら嬉しいです。