読者をジワジワと恐怖に陥れるサイコホラー・スリラー小説「火の粉 雫井脩介」を紹介

火の粉

無実なのに殺人の容疑をかけられて逮捕。裁判を経て、無罪を勝ち取った被告。そんな実例は過去にいくつかありました。「かわいそうに」「警察はけしからん!」など同情や怒りの声もありましたね。拘束されている時間は何を思っていたのでしょうか。悔しかったり、眠れない夜もたくさんあったでしょう。「いっそのこと、無実の罪を認めてしまえば楽になるのでは」と考えることもあったり。

全ては人間が判断することなので間違いはあってもおかしくはないとは言え、ひどい話ですし、同じような目には絶対にあいたくありません。何年もかけて無事に無実を晴らした暁には、明るい未来は待っているのでしょうか。周りの人が支えてくれることを祈るばかりです。

でも、本当は無実ではなくて、実際に罪を犯していたらとしたら。そんな疑惑のある人が隣に引っ越してきたら。この「もしも」を題材にした小説「火の粉」を紹介させてください。

火の粉は「サイコホラー・スリラー小説」

主人公の名前は梶間勲。とても真面目な退官間近の裁判官です。最後の仕事になるであろう、一家3名を殺害した被告の裁判を仕切ります。日本の判例では通常、2名以上の殺人は死刑になりますが、彼は無罪判決を言い渡し、遺恨を残す判決になりそうなまま定年によって退官していきます。

退官してから2年が経ち、大学の法学部の教授となった梶間は、講義でとある顔と再会します。それは、最後の裁判で被告として立たされていた武内だったのです。

死刑になるものと思われていたのに無罪になった彼は、当然のことながら梶間に感謝しています。容疑をかけられていた事件はニュースでは大きく取り上げられていたので、無罪で釈放されたとはいっても、武内の周りはまだまだ落ち着かず、彼も困っている状態。そこで「引越しを考えている」と言っていた彼は、梶間の隣に引っ越してきたのです。

元裁判官と、無罪を言い渡されて釈放された元被告。感謝の気持ちはわかりますが、時間が経つに従って彼の異常性が見え隠れしていきます。家庭で起こる不気味な事件の数々。「もしかして、本当は殺人を犯していたのでは?」と疑い始める梶間。恐怖感を植え付けるサイコホラー・スリラー小説。これが火の粉です。

「重い感謝」は恐怖を覚える

著者の雫井脩介氏の小説はいくつか読ませてもらっていますが、本作はホラー様子が強いため異色です。「ホラー」といってもお化けや幽霊の類だったり、心霊現象が起こるわけでもありません。殺人鬼が出てきたりなどのスプラッターものでもありません。「重い感謝」とでも言ったらいいのでしょうか。

相手のために何かをしてあげると感謝されることがあります。お礼として、何かをもらうこともありますね。「これ、うちで取れたみかんなんで」とお隣さんからもらえば、「これ、うちで取れた野菜です。この前のみかんのお礼です」ぐらいのことなら、田舎では普通に行われていますし、バレンタインデーにチョコをもらえば、同じぐらいの値段のものをホワイトデーに贈るのもマナーというか、普通のことです。

でも、必要以上のお礼をもらったり、必要以上に優しくされたりすると、怖く感じることもありますよね?それが、特に親しい人でもなく、少しでも「人殺し」の疑いのある人物ならどうでしょうか。怖くないですか?

可哀想な人から優しくされたら信じる

主人公の梶間はとてもまじめ。いわゆる死刑廃止論者ではないのですが、それに近い思想を持ってはいます。その影響もあったのか、退官間近で死刑判決を出すのも嫌だったのか、「実母を介護して余生を過ごしたい」という考えもあったのか。しっかりとしか証拠はなかったので無罪としました。

こうなってしまうと、武内は「無罪なのに可哀想な人」というイメージがつきます。優しくされたら、その印象はさらに強くなるものなのでしょうか。

感謝されるためなら犯罪もできるのか

母の介護とは言っても実際には嫁の尋恵がしていて大変そうです。ドラマなどでよく見るような、「なんでこんなこともできないの?」と嫌な感じの義母で、少しでも何かあると義姉が飛んできて、「尋恵さんがいるのに、なんでこんなことになるの?」と彼女は責められます。読んでいて気分が悪くなるレベルの親子の攻撃でした。

イライラしてストレスのたまる尋恵。そんな彼女の弱いところを埋めるように、隣に引っ越してきた武内はお礼なのか、恩を売りたいのか接近してきます。最初は「優しい人」という印象でしたが、気味の悪くなるような行動が見え隠れし、小さな事件から大きな事件まで、「もしかして?」と武内を疑うようになってきます。

この心理描写が上手で、読者をジワジワと追い詰めていく感じもありました。

梶間家はどうなるのか・火の粉は払えるのか

ネタバレにならないように、あらすじの紹介と感想を書いてみました。ストーリーそのものは珍しいものではなく、典型的なサイコホラーものなのかもしれません。ミステリー小説という紹介をされているようですが、これといって推理するようなこともないので、そこは気にしないほうがいいです。

ただ、読ませ方や心理描写が上手で、読んでいて怖くもなって続きが気になってしょうがない。そんな作品になっています。

序盤でも説明したように、雫井脩介氏の作品としては異色です。僕のイメージでは「犯人に告ぐ」なので、まずはこちらから読んでみるのもいいのかなと。本が苦手の人でもとても読みやすいですよ?